Thursday, 17 November 2011

((っ・ω・)っ モテキとは



18歳と10カ月、
こんな自分に初めてのモテ期がきました…!w
大学に入りたてだからだと思いますが、
今まで本当に異性に言いよられたことが
一度もなかったので
これはモテ期なのかな…?w

((っ・ω・)っ 大学で学ぶテーマ

タイトルが日本語ということが
デフォになってきました。



今回はあるツイートに関してと
自分の大学で学ぶテーマについてです。


今朝フォローしているある英語学を専攻している
大学教員のツイートでこんなものがありました。

 そう言えば、高校1年で英語のリーダーを教わったT先生の授業。実用性はあまりなく教養英語と言われていたけど私は好きだった。その先生が「工学部を出た人でも英語を教えられるかもしれないが、私は英文科(=英語系学科)を出た人にしか教えられない英語を教える」と言ったのを鮮明に覚えている。

これを読んではっとしました。

私、バイトで塾講師をしていて英数を中学生に教えています。
それで英語の指導法についてよく考えています。

また、最近は
臨界期を過ぎて第2ヶ国語の勉強を始めた人のための
効率的な勉強法とは何かということに興味があり、
このことを英語を勉強をしているときによくふと思います。

なので私にこのツイートは確実に心にひっかかりました。


このツイートのおかげで
これからも大学で学んでいくなかで
テーマとなるようなものが、
また一回り大きくなりました。



ちょっと話がかわりますが
ここからは私が最近考えている
学問ついてです。


大学入学以降、言語学概論の授業を受けて
様々な言語に関する学問に触れる機会が非常に多くなりました。

ある時、言語習得について授業で触れているとき
母語ではない言語を習得する場合はどうなるのか
特にあたしのような中学から英語を学び始めた人は
どのようにして英語を習得し、どのような学び方が習得に
効果的なのかと疑問を抱きました。

英語学の先生にこのことに関して質問したとき、
それは英語教授法に関わる分野だと聞きました。
英語学とはまた違ったものです。

まだ何も専門知識はありませんが、
これからこの分野についての授業をとったり
専門書を読んで知識を深めたいなっと思います。



ちょっと話脱線します。
文系って、理系とは違って
あまり社会に役立たないとよく思われるじゃないですか。
自分も音声学を勉強したいと周りに話すと
何に活かすのっとよく聞かれます。
(大学受験の面接時でもきかれました。)

音声学の授業で先生も生徒に
これを学んで何に活かすか、と聞いてきました。


自分が勉強している時に一番大事にしている
学問で何か理解したときに起こる心の驚きよりも
やはり社会は、何か社会に貢献できる発見を大切にします。
なのでそういうことを聞かれるのは仕方ないんですが…。
 
 
なので将来、英語音声学と英語教授法を
うまく融合させた何かをしたいなーなんて
考えてます。
院以上のレベルにはなってしまうと思いますが。


これらの融合なら
自分が好きな分野の勉強の発見の楽しさもあるし
社会的にも英語を習得しやすくなる
ヒントを得られるのではないのかなと。



ってことで、最後に少しまとめます。
英語教授法が気になってる今日このごろ、
今朝あのツイートを読んでまとまった
あたしの大学で学んでいくテーマは


英語学を学んでいるからこそ発見できる
臨界期を過ぎた英語習得者が
効果的に英語を習得できるような
習得法のヒントを探る。


に改良しました(`・ω・´)






相変わらずの構成力のなさ。
読んでる方に申し訳ない(´;゚;ё;゚;`)
以上ですっ

Tuesday, 8 November 2011

((っ・ω・)っ 

あえて題名はつけません。

テスト勉強そっちのけで書くので、考えをそのまま書くのでまとまってないと思いますがそこはご了承願います。

明日テストなのに更新してるのは、脳内にはいては困る考えがテスト勉強に妨害がでるほど付き纏って邪魔なので、ちょっとここにはきだそうと思ったからです。


その考えとは、何故生きるか、です。



大学の倫理の授業で“生” について講義を受けました。
ある女子生徒が生きることについて、
「自分の命には価値がないと思います。
だから本当に死にたいと思った時に死のうと思っています。」
と自ら挙手をして語ったんですよ。
この発言にすごくびっくりしました。 
まず、こんなネガティブな発言をよくここまで公でいえるなと(ネットも十分と公ですが)。

そして自分の考えに近いなーっと。

あたしも自分の命に意味はないと思います。
散々何故生きているかで悩んできましたが、
やっぱり生きている理由が見いだせません。
誰かの生きる理由になりたいなんて思ってもいますが
叶いそうにないです。

それで何回か死のうとも思ったのですが、

(死にたいという)衝動に負けちゃいけない

っていつも思うんです。

同級生の友人で自殺した人がいるんですよ。
中学の時。
あの時は色々と学びました。
今でも亡くなったことを信じられないんですが。

すごく辛くて死への願望が強まることを
自分で勝手に”衝動”と呼んでいるのですが、
きっと彼の死は衝動だった。
未来から振り返ると、実は死ぬレベルではなかったと本人が思うんじゃないかって。
実際すごく悩んだから実際の行為に走った事実は変わりませんが。


私は衝動には負けないと自分で決めています。

たぶん人生の中で一番辛くて、もう未来もどうしようもない時に死のう

って思ってます。

正直、今もすごく人生を終わらせたいのですが、
まだこれが悲しみの山場ではないだろう、
まだ可能性はあるんじゃないかっと無意味な期待をして生きてます。
なんの可能性だかは知りませんが。

一番辛いことを経験する前に死ぬのも1つの案ですが
とりあえずまだ何かに期待しています。


要するに、
特に生きる理由もないけど
まだ倖せになれる可能性があるかもしれないし
もしかして後あとから振り返るとこの辛さは大したことないもの
なのかもしれないと思うから生きてるって感じです。




話変わりますが、先日
生まれた頃からお世話になっている75歳過ぎの方に会って話をしました。

その方は大学卒業後、小会社に就職して
必死に働き、貢献して、その会社を大きな会社までに成長させて
今は仕事から離れて老後を送っています。

その方はかれた声でいいました。

「ただひたすらに働いて、国にお金納めて、いざ終わった今、何もすることがない。
何のために生きてきたのか。」

この言葉が胸に突き刺さりました。


働いて働いて、会社も大きくして安定させて、
社会的には誰もが尊敬するような人も
結局は何も人生に楽しみを見つけられないまま
人生を終わろうとしてるんだっと。


その方の自分の墓場も買ったっと言った
あの希望のない眼を忘れることができません。



この話を聞いてもなお、
自分は未来の何かに希望を持っているようです。
もうわかってるんです。
将来何も自分を満足させるものはないと。

でも、期待しちゃってるんですよね。


この盛大な勘違いをしてられるうちは
悩んで考えて生きていこうかなって思います。
ほんとに将来も絶望的で辛いことがあったときは
うまいこと脳死か心臓停止で死んで
角膜含め臓器移植できるとこ全て提供できればなと思います。





最後に。
これからもブログ更新不定期です。
ですが、これからは考えのまとめを書くのではなく、
問題提唱をするスタイルにしようかと検討中。
なんせ考えがすぐに変わるというか、
後から読んでほんとに自分で書いたのかと思うくらいに
考えが変わったりして安定しないので
あまり答えを書きたくない、書けないからです。
後から読んでバカバカしい記事をネットに埋めたくないんですよ。

できるだけ考えの断片は
個人的な思考ノートに書こうと試行中。



ってことで
最後までノリで書いて何が主張なのかよくわからない記事ですが
読んでくださってありがとうございます。


・…テスト勉強しなきゃ。